この画像は東京ド−ム内の野球博物館に収められている当時のキャッチャーマスクの写真です。
よく見ると剣道の面金を加工した物であることが、縦ひご(中心部分の縦棒)の穴や横ひごのアーチ状の形状からはっきりと判ります。
1890年頃日本に入ってきた野球が、横浜の外国人チームに日本チ−ムが初めて勝ってから急速に普及し、それと共に野球用具も作られるようになりましたが、当初の日本では男子たる物のスポーツが、安全のためマスクを付けるなんて格好悪いという風潮でマスクは無しで行っていました。
それでも明治の後半、アメリカのベ−スボ−ル雑誌のイラストを参考にして日本でも作ることになり、初めて作られたのが上記のキャッチャ−マスクです。
本家のアメリカでは最初はフエンシングのマスクの様なキャッチャマスクを付けたようですが、後に面金状のマスクになったようです。
なぜ野球と剣道具が結びつくのでしょう。 剣士の皆様面白いと思われませんか?
日本剣道も遙か昔を思い見やれば、現在の剣道の基礎を作ったと言われるのが熊野水軍出身の愛洲移香斎(1452年生まれ)が日向で開眼した愛洲陰流。 そして京八流、関東七流と言われた刀術を一つにまとめ完成に導いた鹿島の上泉家の信綱(1508年生まれ)に伝授したのが1531年頃。 彼、信綱の手による「袋しない」の考案(1533年頃)、新陰流の創設。 伊勢の北畠氏の紹介で柳生の地でその奥義を石舟斎宗厳への伝授が1564年から約3年間 。
そして平成の現代までとルーツをたどれば果てしなく連綿とーーーー。